煮干しの歴史

煮干しの歴史

干しと聞くと『いりこだし』と言われる方が多いかとおもいます。『いりこ』の事を『カタクチイワシの煮干』と思われている方が多いみたいですが、実は『いりこ』とは、西日本で使われております方言なんです。 『いりこ』の語源は、『煎り煮干』から来ているようです。また、西日本各地でも地域によっ て、たつこ・むし・蒸し田作り・じゃこ・いりじゃこ・いんなご・いわ しかつお・煮だし・だしご・すべいわし・だいざこ、など地域によ って呼び方は様々です。煮干しの種類もかなり多く、主にカタクチイワシ・ アジ・トビウオ・カマス・タチ・エソなどがあり、生産地も全国で 作られており長崎、千葉、広島、山口、香川、愛媛などが主要生産 地になています。学んでみると奥深い煮干しの世界を紹介してみます。

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煮干しの歴史は、古く18世紀頃が起源

いわしは古くから食べられていた

煮干しの歴史は、古く18世紀はじめごろ製塩が盛んでいわしの獲れる瀬戸内海地方で、現在の煮ぼしに近い物の生産が始まったと思われます。関東では、明治28年の千葉県の資料に僅か2トンですが、生産記録があり、それ以前には、田作りなどの記録はあるものの煮ぼしの名はありません。このことから関東における煮ぼしの生産は明治26~28年から始まったと思われます。その後、煮ぼしの生産量も増加の一途をたどり、昭和17年には全国で9万2千トンとピークを記録しました。この数字は原料に換算すると約36万トン、この年の魚類総水揚げ量259万トンの14%を占めて、煮ぼしは最大の水産加工品になりました。昭和38年に1900gを示した1所帯当たりの年間購入量は、昭和50年には850gと半減して、煮ぼしは、だし工業向けの原料比率を次第に増加しました。最近では、乾物文化の見直し、健康、本物志向の高まりもあり若干ながら持ち直してきています。

日本人がイワシを食するようになったのは縄文時代

日本人が魚を食べるようになったのは縄文時代以前からとも言われております。当時の貝塚などから貝殻の他にイワシなどの魚の骨も発見されており、すでに魚介類を食べる文化が根付いていたと思われます。今から1300年前の飛鳥時代の文献にすでに煮干しらしき加工品が朝廷への献上品として貢がれているとの記録があります。これは、生乾きの状態の「いわし煮」の名称で文献に初めて登場しており、遠方から朝廷への献上には移動時間が多く必要で地方で水産物を乾燥し献上していた為かと思います。その為、加工技術も進歩したかと思われます。平安時代になるとイワシはすぐに鮮度が落ちて生臭くなることから、朝廷は、上流階級には下賎な魚とされてしまいます。 和泉式部は、イワシが好物で、家族の留守を見計らって食べていたところ、夫に見つかり咎められて、「日の本にいははれ給ふ岩清水参らぬ人はあらじとぞ思ふ」という歌を残しています。平安時代から庶民の食べ物として定着されはじめ、庶民に愛される食品の地位を確立したともいえます。そして、味噌汁にして食べるようになったのは、大分あとの室町時代ぐらいのことだといわれています 。現代では、いりこで出しをとった後いりこを取り除ぞく事が多いようですが、昔は、具として入っていたようです。煮干しは、西日本を中心に生産、流通、消費をされていましたが、東日本で消費されるようになったとは明治時代だと言われております。なので、西日本の方々には非常に煮干しは浸透した食品でありますが、東日本の方々には馴染みが薄い方も多いかもしれません。そして、現在まで続いております。

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